不動ストーリーブックオンライン版(2024年1月)

不動ストーリーブック制作秘話

2年前に届いた1通のメールにあった「地域の歴史を探る等であれば、活動のお手伝いが出来ます」という地域の方の声や、新しく地域に来た方の「自分の住んでいる地域をもっと知りたい」という声から、このプロジェクトがはじまりました。

街や人にまつわるエピソードを集めながら、文化的資源を後世に残す機運とまちの歴史や地元が好きな人たちが交流できるコミュニティをつくるための第一歩として、「不動ストーリーブック」を発行しました。

不動ストーリーブックの中面は、目黒駅辺りから清水稲荷通り付近までの元競馬・不動エリア(下目黒4丁目~6丁目、目黒本町1丁目)を含む下目黒一帯が鳥瞰出来る構図になっています。

目黒競馬場は、明治40年(1907年)に社団法人東京競馬倶楽部によって創立され、現在の下目黒4丁目から6丁目の一帯にあった競馬場です。昭和8年に府中に移転した後、跡地は主に住宅地としての開発が進みましたが、現在でも元競馬場という交差点やバス停、道のカーブ等から競馬場の名残が感じられます。

(もっと知るなら)目黒区ホームページ 歴史を訪ねて 目黒競馬場 その1その2

■米ボールウイン飛行団の航空ショー(明治44年、1911年)の様子

■目黒競馬場の名残:さくらの里街かど公園とその周辺
さくらの里街かど公園には、目黒競馬場があった当時の桜が今も残っています。また周辺の民家の中にも桜の木が点在しています。

■目黒競馬場の名残:目黒競馬場跡の記念碑と外周を感じる道

東京都港区から品川区、目黒区を経由して世田谷区に至る東京都道312号白金台町等々力線が、いわゆる目黒通りです。江戸時代の地図にもその道を見ることができます。
目黒消防署の屋上からは昔も今も恵比寿方面が見通せて、過去はエビスビールの工場の煙突が、今はその跡地に建つエビスガーデンプレイスのビルが見えます。

■目黒通りの今昔

(もっと知るなら)目黒区ホームページ 歴史を訪ねて 目黒のビール工場

■目黒通りを彩る建物

■金毘羅坂から油面交差点前までの様子

元競馬・不動エリアを流れたいた3つの川の名残としての暗渠等を巡るまち歩きは地域を知る気軽な機会になります。
はじめての暗渠散歩(筑摩書房、著者 : 本田創 高山英男 吉村生 三土たつお)や「暗橋」で楽しむ東京さんぽ 暗渠にかかる橋から見る街(実業之日本社、著者 : 高山英男 吉村生)にも、この地のことが出てきます。どちらも、"こぶしえん"の『シェアリングライブラリー』に置いてあります。

■六畝川(ろくせがわ)
目黒区立第四中学校(1947年から2015年まで)の横に六畝川が流れていました。現在は、暗渠化され六畝川プロムナードとなり、林試の森公園のところで羅漢寺川プロムナードにつながります。六畝川プロムナード開通時の式典は平成2年(1990年)5月26日に行われました。

■入谷川(いりやがわ)
目黒通りの油面交差点から林試の森公園へ続く道に、入谷川が流れていました。その名残は、東急バス渋72系統で入谷橋(昔は入江橋)というバス停にあります。実際の入谷橋は、元競馬場通りから少し林試の森公園方面へ南下した下目黒5丁目36番地辺りにありました。

■羅漢寺川(らかんじがわ)
六畝川と合流した後は、林試の森公園の北側に沿って東へ流れ、入谷川と合流し、目黒不動尊の南を通り、河川名の由来である五百羅漢寺を経て目黒川へとつながります。

現在はすべて暗渠化されたため、かつての様子を「古老に聞く」や「不動まち歩き」で聞きました。その時に、道路の縁がかつての川縁の名残だという情報が得られました。

明治33年(1900年)に「目黒試験苗圃」として始まった林業研究の発祥の地です。その後「林業試験場」へ名称が変更され、昭和53年まで続きました。林業試験場が昭和53年に筑波研究学園都市に移転した後は、その跡地が平成元年に都立林試の森公園として開園しました。現在は、都会に残る貴重な樹林帯かつ、地域住民の憩いの場として賑わっています。

(もっと知るなら)目黒区ホームページ 歴史を訪ねて 林業試験場

目黒花壇・苔香園は、高名な盆栽業者で宮内庁御用達であった木部米吉(苔香園米翁)が1902年(明治35年)ごろに開園し、1920年(大正9年)ごろ閉園したとされる庭園です。明治には向島百花園と並ぶ庭園として有名でした。また、港区芝公園近くには目黒に移転してくる前の所縁を感じる、苔香園ビルというオフィスビルがあります。

■苔香園があった場所

1枚目の写真は、目黒花壇苔香園平面図(平山勝蔵原図)、出典:平山勝蔵「目黒花壇・苔香園について」『郷土目黒第18集』 目黒区郷土研究会 昭和49(1974)年

■苔香園の名残とその周辺

1枚目と2枚目の写真は、苔香園跡地にある民家のお庭の様子です。当時を偲ばせる松や石灯篭が残っています。
4枚目は、昭和の陶芸家安原喜明氏(やすはら きめい、明治39年(1906年)~昭和55年(1980年)) が、昭和3年(1928年)に目黒の自宅に開窯した紅椿窯を偲ばせる展示写真です。
5枚目は、同じ道沿いは、明和5年(1768年)に建てられたと思われる法界万霊塔があります。「右 目黒道」「左 祐天寺道」と銘刻されているので道標としても使われていたのかもしれません。

関東最古の不動霊場。江戸時代には徳川幕府の庇護を受け、江戸近郊における有数の参詣行楽地となり、門前町もにぎわったそう。今も昔も「目黒のお不動さま」と親しまれています。

(もっと知るなら)目黒区ホームページ 歴史を訪ねて 目黒不動(瀧泉寺)

■今昔風景

(出典)写真1枚目:「目黒不動堂」 『江戸名所圖會』 天保5(1834)年、写真2枚目:「目黒不動」 『江戸名所』 天保14(1843)年、写真5枚目:「目黒不動尊」 『江戸名所』 安政1(1854)年

■歴史を感じる見どころ

(もっと知るなら)目黒区ホームページ 歴史を訪ねて 甘藷先生(かんしょせんせい)

春の目黒といえば目黒川の桜とも言われるほど、お花見の時期にはニュースで目黒川の桜を見かけます。今は、目黒川船入場(FUNAIRI-BA)の地下にある地下貯水池等の治水対策により氾濫しにくい川になったそうですが、今とは違う昔の様子を写真から知ることができます。また、目黒通りや山手通り沿いにある場所や施設の今昔写真を見ると時の流れを感じます。

■目黒川

■下目黒周辺(目黒通り・山手通り)

下目黒6丁目には目黒消防署の本署があります。その、本署の初代庁舎が昭和8年(1933年)に落成し、その後昭和40~41年(1965~1966年)に改築、そして現庁舎は平成20年(2008年)に落成しました。消防隊員が毎日訓練をする様子を、地域の子どもから大人までがフェンス越しに覗いているのが日常風景です。

■目黒消防署本署の今昔

■目黒消防署屋上からの周辺地域

写真は、恵比寿方面→目黒方面→不動前方面→武蔵小山方面→不動小学校方面→大岡山方面→駒沢方面→目黒天空庭園方面→目黒区役所・中目黒方面→恵比寿方面に戻る

1907年(明治40年)に、株式会社ミキモト装身具の前身となる「御木本金細工工場」が中央区に創立されました。戦災などを乗り越え、1945年(昭和20年)に現在の下目黒5丁目に目黒工場(御木本真珠店工場)が開設されました。1964年(昭和39年)には株式会社御木本装身具工場と改称され、その後、1972年(昭和47年)に上目黒(青葉台)に移転し、下目黒の工場跡地は住宅地となっています。

2023年10月に行った「不動まち歩き」の参加者から、「工場には桜の木があり、またガラス窓が大きかったため、夜には窓の明かりがよく見えていた」というお話を聞きました。以下の2枚の写真は、社史からの引用ですが、当時の様子を感じることができます。

■下目黒工場の今昔

(出典)写真1枚目:株式会社ミキモト装身具, ミキモト装身具100年史, 株式会社出版文化社, 平成20年(2008年), p.99
写真2枚目:株式会社ミキモト装身具, ミキモト装身具100年史, 株式会社出版文化社, 平成20年(2008年), p.95

目黒不動を訪れた参詣客の土産物として有名なのが目黒飴です。門前には左右に商店が並び、粟餅や飴、餅花を売っていたそうです。

■目黒飴

■目黒不動商店街

目黒不動尊の門前にある昔ながらの風情を感じる商店街です。1枚目の写真は、昭和42年(1967年)の日常風景ですが、商店街の様子は時代の流れと共に移り変わっています。今も、毎月28日の目黒不動尊縁日の際は賑やかな雰囲気が広がります。

不動ストーリーブックの表面「不動ストーリーブック資料館」のコーナーでは、馬の博物館所蔵の「目黒競馬場入口」写真を掲載しています。桜の木もあり、ロールスロイス等の高級車が並ぶ様子は圧巻です。

その目黒競馬場の入口は、どこにあったのか?それを知りたくなり、目黒図書館等で古地図を探してみるも特定できるものは見つからず、公益財団法人馬事文化財団馬の博物館の学芸員や目黒区めぐろ歴史資料館の研究員の方にも協力を頂きましたが、地図などの資料を見つけることは出来ませんでした。

地域内での口伝では、「目黒競馬場跡の記念碑を建てた付近(下目黒5丁目1番地付近)が入口だと思う。だから、あの場所に記念碑を建てた」という声を聞くことができました。また、読売新聞の昭和55年(1980年)1月21日(月曜日)の記事では、「POINT No.38」がある下目黒4丁目11番地辺りを入口として示していました。それぞれ隣り合った区画なので、この辺りに入口があったことは間違いないと考えられますが、もし古地図や文献等で目黒競馬場入口の場所が特定されているものがありましたら、教えてください。

(出典)写真1枚目・2枚目:目黒区教育委員会, 写真集目黒の風景100年, 目黒区めぐろ歴史資料館, 平成13年(2001年), p.64

■目黒寄生虫館のかつての本館建設時の様子

目黒寄生虫館は、1953年に医学博士亀谷了初代館長が私財を投じて創設した寄生虫学専門の私立博物館です。館内には国内外から集められた約300点の標本及び関連資料が展示されています。現在は倉持利明氏が第6代目館長を務めています。

写真の構図は、現在の下目黒4丁目から目黒3丁目の方を向いているため、目黒通りを挟んだ目黒3丁目側にあった日高屋(綿布加工業、当時競走馬のゼッケンや優勝馬の首飾り、騎手のユニホームを手掛ける)や、遠くには恵比寿のビール工場の煙突も映り込んでいる貴重なスナップショットです。

「昭和30年9月本館建築開始 柴田組」(写真提供:公益財団法人目黒寄生虫館

■完成した本館(1956年~1991年)と現在の本館(1992年~)

1956年に完成した本館は、お洒落なデザインですが当時の「英国ウェルカムミュージアム(現Wellcome Collection)」のデザインをモチーフにしたそうです。

不動ストーリーブック制作での関連イベント

地域の昔の様子を知るために、長く住んでいる方からのお話を聞く「地域の昔を古老に聞く」と実際にまちを歩いて歴史の名残を探す「不動まち歩き」を行いました。また、現在に目を向けると、元競馬・不動エリアで地域と共に活動を進めるリーダー達の活躍があります。その方々の想いを聞く「キーパーソンに聞く」を不動ストーリーブック発行記念及びシェアリングライブラリーお披露目として行いました。

2023年7月23日(日)に不動住区センターで、「地域の昔を古老に聞く」と題して、まちの昔の様子(元競馬場の名残は?入谷橋ってどこ?等)を地域に長く住まう方から、思い出等も交えながら聞く座談会を開催しました。部屋いっぱいの賑わいからは「地元」というテーマが持つ力を感じました。

当日の内容は、地域の中でしか聞けない貴重な声でしたので、その内容は不動ストーリーブックでは「この地の昔の様子は?」として最終頁に掲載しています。

2023年10月1日(日)は、実際に元競馬・不動エリアのまちを歩きながら、今はすべて暗渠となった3つの川(羅漢寺川・六畝川・入谷川)や目黒花壇苔香園の面影を感じることのできるお庭、目黒競馬場等、地域の中での歴史の名残を探しました。

2024年1月13日(土)15時から、こぶしえんにて行った地域交流イベント「キーパーソンに聞く」は、多くの参加者と錚々たる登壇者、 不動ストーリーブック制作チームが一体になった、貴重な時間でした。ご参加並びにご協力頂いた皆さまに感謝いたします。

■実施報告

不動プロボノネットワークとは

不動プロボノネットワークは、「コミュニティの力をまちづくりに」をモットーに、地域の大人が持つスキルを活用して、青少年向けの社会教育活動や地域でのまちづくり活動を行う任意団体です。主な運営メンバーは、子育て世代の父母であり、社会人として様々な業種・業界で働きながら地域活動に取り組んでいます。

地域の方々が、それぞれの興味関心に合わせて地域活動に関われるように、「花と緑」や「本(シェアリングライブラリー)」、「地域探求」、「社会貢献とボランティア」、「社会課題とSDGs」等のテーマで活動を行っています。

今回の「不動ストーリーブックづくり」や「シェアリングライブラリーづくり」は、「みんなのシェアで創る地元のまちプロジェクト」として、下目黒五丁目自治会等の他団体と協力しながら進めています。

イベントに参加したい又は活動に協力したい等ありましたら、遠慮なくお声がけください。ホームページにはお問い合わせフォームを掲載していますので、ご連絡を頂きましたら折り返しご連絡いたします。ぜひ、一緒に地域での活動を楽しみましょう。

Posted by Officer